官渡の戦い


 200年、かつて多大なる力を持っていた公孫サンやらは居なくなり、河北は袁紹が勢力を拡大し、
曹操も許昌に帝を迎えて勢力を拡張していた。
両者はついに官渡で激突したのである。


袁紹軍70万、曹操軍7万、曹操・袁紹は官渡に対陣し、秘策を尽くしてのにらみ合いが始まった。
袁紹は一気に曹操軍を叩くために、櫓を組ませ、その上から弩兵による攻撃が開始された。
曹操軍は一時混乱に陥ったが、洵郁の発石車を使い、袁紹の櫓部隊を壊滅させた。




袁紹は次に地下道を掘らせて、曹操軍の本拠地の中に潜入しようと考えた。
バレないようにやるつもりだった袁紹だが、あっけなく地下道を掘っている現場を目撃され、
曹操軍は、深い掘割を作ってそこに大量の水を流し、袁紹軍を阻止した。




曹操軍は小勢で、食料がどんどん底を付きつつあった。
曹操は許昌宛てに食料補給の手紙を使者に持たせ、走らせたが、使者は袁紹軍の軍師、許攸に捕まってしまう。
許攸は食料が底を付きつつある曹操軍に対し一斉攻撃をするよう進言したが、袁紹は「曹操は謀の多い男、これは策だ」と言い張るばかり。
仕舞いには許攸に国賊の汚名を着せる袁紹。ついに許攸は曹操へ降る決意をする。

許攸と曹操は元々は顔見知りなので、曹操は許攸の降伏を認め、許攸は袁紹の食料庫である烏巣の攻撃を曹操に薦めた。
烏巣の兵糧庫を守備していた淳于瓊は酒浸りで備えを怠っており、あっけなく陥落させられた。






兵糧は炎上し、袁紹軍の士気は大幅に下落した。
袁紹は敗戦の原因をいつまで経っても突撃しない張コウのせいにした。張コウは何度も突撃の命令を待ち望んでいたが、取り上げてもらえず攻め込めずに居た。
これを機に張コウも曹操に降り、袁紹は兵力・兵糧の殆どを失ってしまう。
そこに曹操軍が一気に袁紹本陣に畳み掛け、夏侯惇率いる少数精鋭の軍団の前に、袁紹は絶命する。






この戦を乗り越えた曹操は三国志上最大の勢力を持つ驚異的な存在と成り遂げた。





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