虎牢関の戦い


 191年、曹操は反董卓連合軍を起こした。
曹操は、袁紹に総大将を奨め、後に激戦を繰り広げる劉備、孫堅らと共に董卓打倒を決意した。
一方、董卓軍は水関と虎牢関の守りを華雄、張遼らに固めさせた。

連合軍は孫堅が進み出て、董卓の将・華雄を討ちに水関へ向かった。
連合軍食料長官の袁術は孫堅に食料を送らなかった。




その為、孫堅はあえなく敗退してしまう。


そこで関羽の登場である。関羽は自分の身分が足軽であった為、袁紹に馬鹿にされていたが、
曹操のお陰で出撃する事になる。
関羽が華雄をあっけなく斬り、戻ってきた時には酒はまだ暖かであったと言う。




危機感を感じた董卓は呂布に虎牢関を守らせる。呂布は向かうところ敵なしであった。
公孫サンも危うく呂布に斬られそうになった。
そこに現れたのは張飛、彼は呂布と互角に戦いあった。
劉備と関羽が応援に入るが、呂布は三人相手でもひけを取らなかった。




押される董卓は焦り、都・洛陽に火を放ち、混乱に乗じて連合軍の攻め手から逃れようとした。
しかし、都で伝国の玉璽を見つけた孫堅に追撃され、董卓は絶命する。




激闘の末に董卓を破った連合軍であったが、もはや呉漢王朝は完全に権威を失っていた。





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